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明石堂(あかしどう)
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更新日:2025年4月1日更新
明石堂は小千谷縮の創始者と伝えられる、堀次郎将俊を祀ったお堂です。堀次郎将俊は、元和6(1620)年、播磨(はりま)の国(現・兵庫県)の明石藩士の家に生まれ、その後小千谷の山谷(やまや)にやってきたといわれています。出身地の明石から「明石次郎」とも呼ばれています。
堀次郎将俊は、当地の麻織物の技術を改良し、今日の小千谷縮の製作技術の基礎を築いたと伝えられています。延宝七(一六七九)年に六十歳で亡くなったといわれており、葬られた極楽寺の境内には祠(ほこら)が建てられ、今も小千谷縮の祖として偲ばれています。
明石堂は、嘉永元(1848)年に小千谷縮に関係のある商人や職人などの多くの人々が建設費を出し合って建立しました。
桁行(けたゆき)、梁間(はりま)は各二間二尺、高さはおよそ14.8メートルの総欅(けやき)造です。積雪を考慮した高床式となっており、建物内外には吉谷村の彫刻師、柳田庄左衛門の手による、市内でも有数の技巧を凝らした彫刻を見ることができます。
文化財指定日 2006年2月24日
明石堂の外観
周囲には柳田庄左衛門による見事な彫刻が施されています
内部の彫刻には彩色も残っています
所在地 | 小千谷市平成2丁目5-7 | 地図 |
アクセス | 関越自動車道小千谷インターから車で2分 |