本文
朝日山古戦場(あさひやまこせんじょう)
印刷ページ表示
更新日:2025年4月1日更新
戊辰戦争の際、慈眼寺での談判決裂後に長岡藩の拠点となった朝日山(標高341メートル)は、榎峠などと共に新政府軍に対する軍事的要所でした。
慶応4(1868)年5月10日、長岡、会津(現・福島県)、桑名(現・三重県)の連合軍が朝日山に布陣し、薩摩(現・鹿児島県)、長州(現・山口県)を主力とする山道軍(さんどうぐん)と一週間に渡る激戦を繰り広げます。中でも5月13日未明の長州奇兵隊200人による攻撃では一層激しい戦いが行われ、奇兵隊参謀(さんぼう)の時山直八もこの際に戦死しました。
朝日山古戦場には、当時の砲座跡や、河井継之助が築かせたという塹壕(ざんごう)の一部が残っています。山頂までの道には小さな墓碑が点在し、ふもとの浦柄(諏訪)神社には、新政府軍の時山直八、旧幕府軍の会津藩・新国英之助(にっくにえいのすけ)ほか20人の墓が建てられています。
文化財指定日 1972年4月1日
写真中央の山が朝日山
頂上にある古戦場の石碑
頂上に今も残る塹壕の跡
展望台と資料展示室