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慈眼寺山門(じげんじさんもん)

印刷ページ表示 更新日:2025年4月1日更新

​慈眼寺は真言宗智山派の寺で、小千谷市のほぼ中央、寺町(てらまち、現・平成町)と呼ばれる一角にあります。戊辰戦争の際に薩摩藩が駐屯(ちゅうとん)したことから、慶應4(1868)年5月2日に長岡藩家老の河井継之助と新政府軍軍監の岩村高俊が会見した「小千谷談判」の舞台になりました。
山門は、境内入口に北面して建つ三間一戸楼門(ろうもん)で、屋根は入母屋造(いりもやづくり)の正背面に軒唐破風(のきからはふ)を付けています。板支輪には波紋や鶴などが彫られており、上部にある蟇股(かえるまた)は龍が彫刻されているなど、細かい意匠も見応えがあります。現在の山門は、明治25(1892)年の建築(平成18年改修)のため、河井継之助が訪れた際には一回り小さい山門があったとされています。

文化財登録日 2015年11月17日

慈眼寺山門の外観の画像
慈眼寺山門の外観

慈眼寺上重の組物
山門上重の組物

所在地 小千谷市平成2-3-35 地図
アクセス 関越自動車道小千谷インターから車で5分

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