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木喰上人作三十三観音他二像(もくじきしょうにんさくさんじゅうさんかんのんほかにぞう)
木喰上人は、享保3(1718)年に甲斐国(かいのくに、現・山梨県) に生まれ、22歳で仏門に入りました。
45歳のときに木喰戒(もくじきかい、五穀などを断ち、木の実や草のみを食べるという修行)を行い、56歳で廻国(かいこく)修行の旅に出ます。小栗山(こぐりやま)を訪れた時は86歳で、木喰五行菩薩(もくじきごぎょうぼさつ)と名乗っていました。如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)を中心とした三十三観音像と他二像は、木喰上人2回目の越後巡礼の際、小栗山地区に滞在した上人が、火災消失により享和3(1803)年に再建された観音堂のために、同年8月1日から24日までの間に刻んだものです。原料の木材は、住民が総出で運びあげたイチョウの巨木と伝えられています。
ふくよかな頬、団子鼻、山なりにまがる太い眉、大きく孤をえがく目、深い笑みをたたえている口もとなどが特徴の上人の作品は、「微笑仏」(みしょうぶつ)と呼ばれて広く親しまれています。昔は、子どもたちが観音様をおぶって遊んでいたことなど、地元の人たちに親しまれてきた様子が語り継がれています。
ご開帳:毎月17日と、牛の角突き開催日 この日以外に拝観を希望される方はご相談ください。 ※ただし11月~4月までの冬期間については拝観できません。
文化財指定日 1968年3月23日
木喰上人
享保3年(1718年)~文化7年(1810年)は甲斐国(今の山梨県)に生まれ、22歳で仏門に入り、45歳のとき木喰戒(もくじきかい)を受け、56歳で廻国(えこく)修行の旅に出て、仏像千体彫刻を発願(ほつがん)しました。僧名を3回改めており、小栗山を訪れた時は86歳、木喰五行菩薩(もくじきごぎょうぼさつ)と名乗っていました。
本尊の如意輪観音と行基菩薩(右)、大黒天(左)
木喰上人の手による柔和な顔の観音像
全35体の圧倒的な存在感があります
小栗山観音堂の全景
所在地 | 小千谷市大字小栗山 | 地図 |
アクセス | 関越自動車道小千谷インターから車で16分 |