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お満ヶ池(おまんがいけ)
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更新日:2025年4月1日更新
寛文年間(1661~1672年)の初め、明石藩士とされる堀次郎将俊は、妻の満と二人の子(ちよ・けさ)を連れて、山谷村の庄
屋であった西牧彦治右衛門方に移り住んだといわれています。
当時から小千谷では麻糸や麻織物の生産が盛んで、堀次郎将俊はその織り方に様々な改良を加え、力強い湯もみによりシボをつけたほか、絣くびりの方法、雪ざらしの方法などに工夫を凝らし、新しい織物を作り出すことに成功したと伝えられています。そして、こ
れらの技術を公開、伝授したことから、現在のような小千谷縮が生まれたといわれています。
お満ヶ池は、妻の満が麻布をさらした場所とされており、傍らには記念碑が立てられています。
文化財指定日 2006年2月24日
お満ヶ池