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高梨城本丸跡

印刷ページ表示 更新日:2025年4月1日更新

高梨城は、信濃川に形成された低位段丘の突端部に築かれた平山城(ひらやまじろ、平地にある丘陵などに造られた城)です。文明年間(1469~1487年)は長尾氏(ながおし)の居城で、その後、長尾氏の家臣、高梨源五郎頼春の居城になったことや、永禄年間(1568年前後)に高梨修理亮守将が居城していたなどといわれていますが、いずれも江戸時代の記録や伝承によるものであり、当時の明確な文書などの記録はほとんど見つかっていません。御館(おたて)の乱の後、天正7(1579)年に廃城になったといわれています。
段丘面の平坦な地形ですが、段丘崖を天然の切岸(きりぎし)とし、さらに空堀(からぼり)により敵の侵入を防ぐ防衛設備としています。この城最大の特徴は、郭を囲い込む土塁(土を積み上げて築いた防壁)で、明治時代以降の農耕などの影響で削られた部分も多いですが、主郭(しゅかく)部の外周には当時の普請の跡も観察することができます。

文化財指定日 1981年8月22日

高梨城本丸跡に建つ城主の墳墓の画像地元では高梨城主の墳墓と伝えられる

高梨城本丸に今も残る土塁の画像今も残る土塁

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